千里ニュータウン伝道の思い出
開拓宣教師 ドン・シスク師
私のこれまでの思い出の中でも、最もなつかしく思うものは、千里ニュータウンバプテスト教会に関することです。1965年来日し、はじめて新千里山駅(現:南千里駅)に電車から降りて高層アパートが建ち並んでいる千里ニュータウンの街を見ると、私の心は喜びと期待に満たされました。ここが、神様が私に伝道する地として与えられたところだと、不思議にもすぐに確信したのです。この地を歩き回りながら、立ち止まっては神様の導きを祈り求めました。そうする内にますます神様が私たちを動かして、千里ニュータウンで教会を始めようとされていることが実感として迫ってきました。
不安を抱きながら、集会場のことを尋ねに行った事を思い出します。ニュータウンにある公の集会場は一切、宗教行事には使えないと聞いていました。けれども他に集会を開く場所のあてもないので、駅前のセンタービルに行き、集会場としていろいろな部屋や建物を斡旋してくれる担当の人に話を聞いてもらうことにしました。担当者の男の人は親切に応対してくださり、話がスムーズに進むことに私たちの方が驚きを覚えました。私たちがしようと思っていることをそのまま伝えると、係りの人は部屋を使って頂くのに何の差し障りもないでしょうと言ってくれたのです。使用許可願いを上部に提出しなければなりませんが、その結果も二、三日中には出るでしょうとのことでした。話を終えて出てくると、私たちの心は喜びでいっぱいになりました。その後すぐに通知が届き、集会場の使用が認められました。
私たちは新しく教会を始めるにあたって、服部緑地で二日間祈りと断食に費やしました。充実した時でした。神様が私たちを互いに、またご自身に近づけてくださり、私たちの多くのことを示してくださいました。
また思い出すのは、クリスチャンたちの熱意です。多くの方々が私たちを助けてくださいました。さまざまなクリスチャンたちが一致協力したのです。マクリロイ師は音楽を導いてくださいました。ホワイト師はピアノを弾いてくださることとなり、オルガンは私の娘が担当しました。マーカム師と西宮バプテスト教会の人たちはトラクトやチラシの配布をお手伝いくださいました。だれもが喜んで伝道のためにお手伝いくださっているようでした。私たち家族は私も妻のバージニアも、娘のルネイ、息子ティムも皆で一軒一軒にパンフレットを配り、私たちのオープニング集会に何とか来てくださるように、お願いをして廻りました。
何週間も祈り、計画し、準備してきて、とうとうオープニング集会がやってきました。私たちは車二台を用意し、スピーカーをつけて、集会のことを宣伝しながら地域をくまなく廻りました。集会の案内を駅で配り、戸別訪問でパンフレットを配りました。
オープニング集会の日、南センタービルの前に立っている人を見ると、案内を手に持った人が来始めました。かなりの人が集会室に集われました。教会というところにそれまで全く関わったことのない人が30〜40人いました。
中でも一人の大学生のことを覚えています。英文学を学んでいた彼は、私に流暢な英語で話しかけてくれました。彼が集会に来た第一の目的は、聖書でも、主イエスキリストでもなく、英語を練習してさらに堪能になるためでした。私が通訳者を介してメッセージすると聞いてやってきたのでした。その青年の名前は、小川宗五郎でした。
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